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三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

ミッドウェーの敗戦

ミッドウェーの敗戦

その昔、日本書紀を読んでいて、「白村江(はくすきのえの戦い」
まで来ると、詰まって読めなくなると書いてあるのを
読んだ記憶があります。

朝鮮半島の白村江で行なわれた、日本と百済の遺民の連合軍と
唐・新羅連合軍との戦いは、唐・新羅軍 12,000人 船舶 170余隻、
に対し日本・百済軍は 47,000人 船舶 800余隻!

圧勝するはずの戦いは、無残にも大敗!
日本は朝鮮半島への足がかりを失います。

その白村江の戦いに匹敵する敗北がわずか66年前にありました。

ミッドウェー海戦です。

この作戦の良し悪し、また戦争の是非については
ここでは取り上げません。

日本は航空母艦6、戦艦11、巡洋艦16、駆逐艦53という大戦力ながら
航空母艦3、巡洋艦8、駆逐艦15のアメリカ軍の前に
空母四隻を失う大敗を喫しました。

日本はアメリカの物量作戦に負けたといわれていますが、
開戦時の太平洋戦力ではむしろ日本が上回っていました。

なぜ、優位にあった日本が敗れたのか?

さらに影響が大きかったのは、主力空母を失ったために、
ベテランのパイロットを失ってしまったことです。

技術というのはすぐに身につくものではありません。

もともと少数精鋭部隊で編成されていた海軍航空部隊が
全滅してしまったのです。

主力が戦艦から飛行機に移った時代では
その後の日本海軍が輝きを失ったように見えるのも
致し方ないでしょう。

実は、私は昔の話をしているのではありません。

少なくとも優位な戦いになぜ敗れたか?
さらに、技術の継承が無くなった時どうなるか?

この理由を十分に検証しない限り
再び大敗する日が来るに違いありません。


最終更新日 2008年06月05日


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